「ハレルヤ」(12月13日)

 ハレルヤを初めて歌ったのは香港だったろうか。香港JCFの聖歌隊は、日本人学校の校長夫人の熱心な指導により、なかなか盛んであった。お世辞にも音響効果が良いとは言えない会堂で、皆さんがよく奉仕をしてくださった。クリスマスには聖公会の大きな会堂を借りて、力一杯歌った。教会学校の生徒たちや、その家族が多かった。香港では、新しい歌を何曲も教えられたが、その1曲がハレルヤだったと思う。というのは、1989年夏、ドイツのイザローンという町で、日本人クリスチャンの集いが開かれた時、私たちは香港最後の夏だったので、休みをいただいてJCFの姉妹たちと共に出席した。その時、即席の聖歌隊だったが、ハレルヤを歌ったことを明確に記憶している。ほとんどぶっつけ本番だったのに、さすがはキリスト教の本場、日本からの何人かの留学生やオペラ歌手などもいて、なかなかすばらしい合唱だった。私も歌ったのだから、知らない曲を歌えたはずがない。

 仙台青葉荘教会のイブ賛美礼拝では、メサイヤの4番と44番(ハレルヤ)を歌うのが定番だった。聖歌隊は2階のギャラリーで歌うので、説教と両方は難しいが、説教がないときは喜んで聖歌隊で歌った。しかし、ハレルヤのテノールは高音で、音域の狭い私にはとても出ない音がある。そこは口パクパクでごまかした。でも、礼拝の最後にハレルヤを歌うと、今年も力一杯主を賛美したと言う満足感が残った。さて、当教会では久しぶりのハレルヤの合唱だが、合唱団の方々に助けられて何とか力強く賛美したい。   

クリスマスの劇(12月6日)

 園児たちは今、クリスマスページェントの練習に懸命です。今年はどんなページェントになるか楽しみです。

 私の母教会では幼稚園がなかったので、ページェントは行われず、子供の頃のクリスマスの記憶は、楽しいお話やスライドが中心でした。青年会になって、青年たちが大勢だったせいもあり、聖書物語などの劇をやりました。もう半世紀以上も前になりましたが、私が演じた金貸し金兵衛の話は今もよく覚えています。あれは多分、伊藤馨牧師が昔月刊「小兵士」に書いた物語を御子息が劇用に脚色したものではないかと思います。

 静江牧師も中学生の時に演じたシェークスピアの「真夏の夜の夢」のパック役のことを時々話します。それほど体をもって演じた話は忘れられないものです。園児たちも幼稚園でクリスマスに演じたページェントのことは心に深く残り、いつまでも忘れられないでしょう。

 以前、ロスアンジェルスの教会の礼拝に出席した時、礼拝の中で踊りがあるのに驚きました。また演劇をする礼拝もあると聞きました。教会の中に演劇班があり、長時間をかけて練習し、演劇をもってメッセージを伝えると聞きました。これもただ話を聞くよりも強烈に会衆に訴えるものがあるのではないでしょうか。

 そういえば西川口教会ではクリスマス祝会によく劇をやりました。香港でもそうでした。東京聖書学校の伝統の一つにもなっています。幼児のクリスマスページェントの練習を観ながら、そんなことを思い起こしました。

今年のアドベント(1129日)

 きょうからアドベントに入りました。教会の暦では新年のスタートです。きょうの夕方5時に玄関前のモミの木の点灯式です。今年は共に賛美してくださる方が少ないのですが、易しい曲ですので今からでも参加してください。

 13日は子供クリスマスです。いつもの通り、9時から教会学校の礼拝ですが、13日は合同礼拝にして特に笈川さんに絵本の読み聞かせをお願いしています。笈川さんは、幼稚園の誕生会の時にいつもお願いしていますが、とてもすばらしく心が温かくなります。

 幼稚園のクリスマス礼拝と祝会は16日(水)です。前日がリハーサル、17日は祖父母のために聖誕劇をもう一度行います。今、子供たちは毎日懸命に練習に励んでいます。ぜひ観たいという方は、15日―17日の午前にお出でくださったらご覧になれます。

 20日(日)はCSクリスマス礼拝と、一般のクリスマス礼拝、祝会です。クリスマス礼拝に受洗者が与えられたら、祝会はそのお祝い(感謝会)を兼ねて致します。受洗者が起こされるように祈りましょう。祝会はどんなプログラムが用意されるでしょうか。楽しみですね。

 24日(木)は恒例の燭火礼拝が午後7時から行われます。今年はヘンデルのメサイアからハレルヤコーラスを歌うことになりました。大曲ですが、みんなで心と声を合わせて賛美しましょう。合唱団の方々も賛助出演してくださることになっていますから大丈夫、記念すべきクリスマスを!

クルセード伝道会(11月22日)

 11月20日―22日午後、フランクリン・グラハムによる伝道集会(セレブレーション オブ ラブ)が日本武道館で開かれる。レーナ・マリア他の世界的なアーティストも出演する。当教会にも協力教会になって欲しいとの誘いが何度かあったが、幼稚園の行事等で多忙なので今回は見送った。

 以前、フランクリンの父、ビリーが何度も来日して、武道館や後楽園スタジアム(東京ドーム)でクルセードを開いた。私も会場係その他の奉仕をした。ビリー・グラハムの説教は力強かった。若い頃から説教者として頭角を現し、世界各国で用いられた。まだ伝道が難しいソ連にも行って伝道会を開いた。中国ではさすがにそれは許されなかったが、教会訪問を果たしている。キリスト教会を代表する顔であった。なおご健在だが、もう高齢で説教は息子と孫に譲った。ビリー・グラハム伝道協会がそれらをアレンジしている。フランクリンは、サマリタンズ・パースという慈善団体の会長も兼任し、去る東日本大震災の時は何度も東北に来て、温かい支援の手を差し伸べてくれた。

 スポーツセンターや野球場、サッカースタジアムを借りて行う大伝道集会が、今の時代にふさわしいか否かは、昔から議論されてきた。ビリー・グラハムのクルセードの時には大反対もあり、反対者が会場近くで反対のビラを配り妨害することもあった。今はそういう反対も目立たなくなったが、依然として批判や反対はある。耳を貸すべき意見もある。あなたはどう思われますか?

祈られたセミナー(11月15日)

 去る9日より11日まで市川で開催されたホ群信徒・教師共同セミナーは恵みのうちに終わった。主講師は錦織寛師(日本ホーリネス教団)、主題は「わかりやすい聖化」、この講演を受けてパネルディスカッション、聖会2回、開会・閉会の礼拝、その他のプログラムであった。この中で、特にクスマン典子師の自己紹介を兼ねた時間があった。来年のホ群結成70周年記念特別伝道の講師の一人として、師を迎えたいという願いがある。このために典子師はこの度来日された。さらに典子師の祈りの友であるルーシー師がカナダから自費で参加されたのには驚いた。ルーシー師だけでなく、全世界に散っている典子師の祈りの友が、セミナーを覚えて祈っていてくださるとのことで、このような背後の祈りを強く意識したセミナーであった。

 「祈ってください」「祈っています」とは、よく聞くクリスチャンの会話であるが、それとは一味も二味も違い、祈りを行動に移すことは驚きであった。神はそのような祈りに必ずや応えてくださるであろう。

 主題講演の錦織寛師は今春出版された「わかりやすい聖化の話―ホーリネスへの招き」を要約したプリントに沿って流れるように聖化を全体的に語られた。師は、若い人に聖化の恵みを知ってほしいという切なる願いを前から持っておられる。セミナーを前にしてタイミングよく、群の文書部が私の「ジョン・ウェスレー」を出版してくれたので、これも皆さんが買い求めて用いてくださった。全体に祈りが積まれたセミナーで感謝であった。

2015年11月8日

幼稚園の入園願書受付

 11月1日は毎年、曜日に関係なく幼稚園の次年度入園願書の受付日と決まっている。今年は日曜日に当たったので、大忙しの一日となった。聖日礼拝は教会の命だから、もちろん欠かすことはできない。時間の変更もできない。だから、願書の受付を7:45からとし、面接を8:20からとして、教師たちには7:15に集合してもらった。願書を持ってくる保護者や幼児たち、教師たちも早起きと準備が大変だったろう。

 しかし、もっと大きな問題は、入園希望者が何人なのかということである。定員は決まっている。そして、今在園している園児たちの弟妹は優先的に入園が認められる。だから、新しい子供たちの入園の枠は限られているが、これを超えるとくじ引きになるが、「あの幼稚園は、くじ引きで入園が決まったのよ」という評判が立つと、次年度からは敬遠されて入園希望者が減るかもしれない。しかし、逆に定員に満たないと、園児数が減少して経営的には困難になる。事実、今年4月の入園児は定員より10名ほど少なく、予算を立てるのが困難だった。

 新入園児の受付は8:00からで、面接が始まる予定の8:20までに何人来るか、その20分が勝負である。私も気が気でなかったが、8:15頃にあと2,3人という連絡を受け、祈っていたら8:20にきっちり定員一杯になったとのこと、心中でハレルヤと叫んだ。

2015年11月1日

大学同期会へ

 今年も大学の同期会が南房総で開かれ、参加してきた。昨年6月末、同じ同期会が函館で開かれ、私も体調悪い中、羽田から函館まで飛んだが、後でわかったことは、そんな所に行ける状況ではなかった。すでに肺炎に罹っていた。何とか3日間は守られたが、帰宅して間もなく入院して点滴を受けた。昨年の同期会の頃を思い返して、今年はずっと強められているのは感謝である。そのことの報告も兼ねて、懐かしい仲間に会いに行った。

 今回は17名の参加でやや少なかったが、これからはさらに少なくなっていくだろう。30名の卒業生のうち6名はすでに他界し、伴侶を亡くした者もある。参加したくても困難になってきた者もある。皆に呼びかけるのは、あと1,2回ではなかろうか。

 我々の楽しみのひとつは囲碁であるが、前回と比べて意欲が減退したことは否めない。やっと1局を終えてもう結構ですとしり込みする者が多い。疲れるのだろう。しかし、棋力は衰えていなかった。ずば抜けて強いのが一人いて、愛知県春日井市の大会で優勝したとのこと。彼には指導碁をお願いして勉強になった。

 観光は行ってもいかなくてもどちらでも良いという意見だったが、千葉県最南端の洲崎灯台まで行き、太平洋の荒波と潮風に吹かれて気持ち良かった。南房総は全体的にのんびりしてのどかな風景だ。帰路は長距離バスで初めて東京湾アクアラインを渡り、横浜経由で帰ってきた。    

2015年10月25日

捨てるということ

 捨てることは難しい。私たちも昨年3月、仙台から東京へ移転するに際して、捨てるべきものが沢山あったのに、その選択が難しいので余計なものまで持ってきて、後で困りました。思い切って捨てるべき時に捨てなければならないことを痛く学ばされました。これからは地上を去る日がいよいよ近づいてきますから、生活や持ち物を整理して、シンプルライフを心がけねばならないと思います。その点、森田聖子先生は整理が上手なので、いろいろ学んでいきたいと思います。

過日、この短文で囲碁のことを書きましたが、囲碁の難しさの一つは、大胆に石を捨てるということです。この判断がつかずに、いったん打った石はすべて活用しようとすると、大局的判断を失って大きな損失を招きます。だから、一時は役立った石も、全体のために捨て石にすべきだという判断が大事なのです。これが私にはなかなかできなくて、打った石を守ることにこだわって、大きく戦局を損ない負けてしまうのです。ここが我々の打つざる碁と、高段者の打つ芸術作品のような美しい碁との違いと言っても過言ではないでしょう。

これは私たちのキリスト教信仰にも当てはまるところがあります。「神さま、あれもこれもください」と祈りがちですが、実は捨てていくところに信仰の奥義があると言えます。私たちは自分の中に様々な欲望その他捨てるべきものをたくさん持っています。中でも自分自身が一番問題です。この「古き人」を脱ぎ捨てて「新しい人」を着ることがキリスト信仰の奥義です。(エフェソ42224

2015年10月18日

音楽を聴く

 先日趣味の囲碁のことを書かせていただきましたが、もう一つの趣味と言えば音楽です。歌うことも聴くことも好きです。最近はいろいろなジャンルを聴くようになりましたが、基本的にはクラシックが好きです。中学の音楽の教師の影響が大きかったでしょう。昔はラジオで聴いたり、レコード鑑賞などもしましたが、今はすっかり時代が変わりました。ほとんどがCDに代わりました。電車に乗ると、多くの人がイヤフォンをつけて何かを聴いています。音楽が周囲に漏れている人もいます。あんな大きな音で耳を傷めないかと心配しますが、彼らにとってはそれが当たり前になり、生活の必需品になっているのでしょう。

 しかし、他人事でなくなりました。何年か前に教会の一人の兄弟が「これを聞いてみてください」と、クラシックや讃美歌など1500曲以上が入ったマッチ箱ほどの物を私にプレゼントしてくれました。何だろうと思いましたが、以来、聖書学校行き帰りに聴くようになりました。それをもう一人の兄弟がパソコンに入れてくれて、いつでも聴けるようになりました。以来、PCで仕事をするときは、いつもBGMを流すのが癖になりました。湯本先生にはうるさくてご迷惑かもしれませんが、お許しをいただいています。モーツアルトやベートーベンなどを聴きながら説教準備をすると、なぜかはかどるようです。日曜日には讃美歌を流します。今では、これも私の生活に欠かせないものになりました。時代と共に生活スタイルも変わるものですね。皆さんは如何ですか?

2015年10月11日

ホ群結成70周年

 ホーリネスの群は大戦後、昭和21年5月に教団内に結成され、来年70周年を迎えます。そこで、昨年にはホ群結成70周年記念プロジェクト委員会が立ち上げられ、今、どんな事業をするかいろいろ協議されていますが、思いがけず以前に私が7年間ほどホーリネス誌に連載した「ジョン・ウェスレー」を文書部がまとめてくださり、小冊子として出版してくれることになりました。今、校正など最後の追い込みに入っていますが、来る11月のセミナーまでには出来上がる予定ですから、皆さんにもぜひ読んでいただきたいと思います。

 もう一つの事業は記念特別伝道で、その講師の一人にアメリカからクスマン典子さんを迎える予定です。クスマンさんには去る6月の礼拝でパンチの利いた証をしていただきました。しかし、群の教会はクスマンさんを全く知らないので、来るセミナーにお出でいただき、少し時間をとって彼女に自己アピールをしてもらう予定です。そこで、せっかくアメリカから来られるので、セミナーが終わった次の日曜日(15日)、もう一度当教会にお出でいただいて、今度は特別礼拝として思う存分に語っていただきたいと願っています。きょうの役員会で正式決定の予定ですが、皆さんにも祈っていただきたいと思います。

 セミナーにはもう一組の客が出席します。アネモネという賛美グループで、その週に当教会の母の会(11日)で賛美してもらい、その翌日(12日)にコンサートを開く予定です。このためにも祈ってください。

2015年10月4日

囲碁について

 閑話休題で、囲碁について記しましょう。先日森兄が自宅にある碁盤を教会にお持ちしましょうと言われるので、希望者は教会で対局してください。相手がいなければ、私がお相手します。と、偉そうに言っても、大した腕ではありません。私に最初に囲碁の手ほどきをしてくれたのは父です。高校時代によく父と打ちました。私がだんだん強くなって、ほぼ互角に打てるようになったら、なぜかあまり打たなくなりました。父は直感で打ってくる早打ちです。私はじっくり考えるタイプで、父はじらされて嫌だったのでしょう。大学時代はよく友達と打ちました。マージャンなどもやりましたが、何と言っても実力勝負は囲碁です。マージャンならば、つきということもありますが、囲碁ではまずそんなことはありません。

 今はコンピューターの時代で、コンピューターを相手に囲碁もできます。最近は知りませんが、数年前に世界最強と言われる囲碁ソフトと対局したことがありますが、私と互角でした。将棋のソフトなら、プロ棋士と互角と聞きます。西欧のチェスなら世界最強は人間かコンピューターかというところまで来ています。しかし、囲碁の世界では、まだまだ人間が上だということは、それだけ囲碁は奥行きが深いということです。さすがにコンピューターも人間のようには大局的に判断できないということでしょう。10月末には大学の同期会が南房総で行われる予定ですが、出席者の半数のお目当ては久しぶりの囲碁の対局です。私も昔の仲間との手合わせを楽しみにしています。

アシュラムに参加して

 日本クリスチャン・アシュラム60周年の記念アシュラムに参加することが出来て大きな喜びである。今年のアシュラムは、アメリカからスタンレー・ジョーンズの孫娘アン・マシューズ女史とアシュラム・センターの主幹牧師、榎本恵師を迎えて開かれたことは画期的なことであった。スタンレーが日本にアシュラムを紹介し、やがて超教派の日本クリスチャン・アシュラム連盟が組織されたが、榎本保郎師は連盟とは別に単独でアシュラム・センターを設立して、いわゆる榎本アシュラムと呼ばれる運動を展開した。以来、榎本師が召されても後継者によって引き継がれて、今日まで二つのアシュラム運動が並行して行われ、互いに交流はなかった。しかし、私は初めから両方のアシュラムに出席し、なぜ両者に交流がないのかを残念に思っていた。同じスタンレーに起源を持つ信仰運動で、本質的に少しも違わず、やり方が少し違う程度である。それぞれに一長一短があり、互いに学び合い、協力して、日本の教会に仕え、信仰を高め合っていけたらと願ってきたが、60周年が一つの契機となって、ついに時が来た。この度のアシュラムは、両者で協力してアン・マシューズ女史を日本に招くことを決め、また、アシュラム連盟理事長の横山義孝師と榎本恵師が協力してご用に当たるという企画が立てられた。これはまさに聖霊の導きであった。今春には60周年の記念誌も完成し、これも日本のアシュラム運動の一里塚になった。参加者は多くはなかったが、北海道から九州まで各地の代表も集まり、祈りを共にできたことは大きな喜びであった。さらに今後の連帯の深まりを期待する。(牧)    

ウェスレー・メソジスト学会(9月20日)

 14日、ウェスレー・メソジスト学会が銀座教会で開かれた。年に1度の総会と研究会であるが、東京に来てからまた出席できるようになったのは感謝である。

 午前に3人の方が小研究発表をされた。それぞれに興味深かったが、特に救世軍の山室軍平が一般大衆にキリストを伝えるためにガラススライドを用いたと言うそのサンプルをプロジェクターで見せていただいた。仏教の地獄絵図や浮世絵を取り入れたようなスライドの絵は注目すべきものと思った。スライドは当時まだ一般に普及してなかった。

 午後は総会の後、若い新約学者の河野克也師がパウロ神学の新しい視点から聖化を再定義しようとする意欲的な取り組みが印象深かった。新約学の膨大な資料に目を通し、それを理解し整理するだけでも容易ではないだろう。言葉のハンディを乗り越えて、聖書学の最先端の知識をウェスレーに当てはめようとする挑戦を面白いと思ったが、これからは日本にもこのような若い神学者、ウェスレー研究家が現われることを楽しみにしている。

 渡辺善太が半世紀以上も前に「中田重治伝」の巻末にディール博士の言葉を引いて「ウェスレーの聖化の教理は、ウェスレー以後、少しも発展しないでウェスレーの残したままに留まったかに見える。この教理が暗示する広汎な実際的問題の解決を試みる天分もしくは勇気が欠けていた」という意味のことを記しているが、ようやくこの挑戦に応えようとする若手研究者が生まれつつあることを思い、喜びを禁じ得ないものがある。

東京聖書学校公開講座(9月13日)

 9月11日に東京聖書学校の公開講座が開かれ、今年は東京キリスト教学園の山口陽一師をお招きして、「福音的キリスト教と社会的責任」という主題で講演を伺った。安保関連法案が問題になっている折から、時宜にかなった主題であると思う。

 山口師は、福音的キリスト教に立つ教会が社会問題に対しても関心を持ち、社会的責任を果たしていくことが大切であることを、御自身の今日までの歩み、現在の取り組みの一端を紹介しながら、説得力をもって語られた。

 初めに、偶像礼拝の拒否ということで十戒の第一戒を取り上げ、これは私たちの信じ崇める神と並んで他のもの(金、地位、名誉…)を神としてはならないということで、先の大戦中、当時の軍国主義の流れの中で教会は神道儀礼に妥協したこと、今日、再びそのような流れが作られようとしていることへの警鐘も鳴らされた。

 第二の主要なテーマは「教会と国家」で、「人のための国」から「国のための人」への移行が急速に進んでおり、これも前大戦時への逆行であること。キリスト教はあくまで神の像に創られた人が大事であり、国家は罪の抑制のために神が人のために許容された定めであること(サムエル記上8章、ドイツ・バルメン宣言)、また、特に今問題になっている憲法改正のことでは、自民党の改正案は現行憲法の方向を逆向きにしようとするものであること、平和の問題についても、戦争は平和を実現する手段にはなり得ず、「剣を取るものは、剣で滅びる」というキリストの言葉を大事にして、我々の進むべき方向を見出すべきだと語られた。

2015年9月6日

東京聖書学校退修会

 東京聖書学校の退修会が栃木県のオリーブの里で開かれた。毎年夏期伝道の最後に退修会が開かれ、夏期伝道の報告と共に霊修のときをもって2学期をスタートする。

 今回は工藤弘雄著「わが内に住むキリスト」をテキストに学びの時を持ち有益であった。これは工藤師の礼拝説教が基になっており、こういう説教が毎週講壇から取り次がれることに驚きを覚えた。ホーリネス教会の礼拝メッセージはどうあるべきかは、若い頃からの私の課題でもあった。先輩たちの見よう見まねで今日まで来てしまったが、私の礼拝説教ではたして皆さんがホーリネス信仰の何たるかを知り得るだろうか。私に残されている日も少ないと思われるが、これらの日々に何を語るべきか祈らされている。

 退修会の二日目の午後、塩屋一粒教会を訪ねて、戦後、教会の創立以来父上と共に戦ってこられた原田時近兄の尊い証を伺った。満州からご一家で引き揚げて来て、母上の郷里である塩屋町で開拓伝道を始めた父上を支えて、長男の時近兄が弟妹を養い、学校に通わせるのは大きな労苦であったろう。御自分は満足に学校にも行けず、かろうじて当時苦学する若者のために建てられた定時制高校に通い、若い高校生と共に机を並べて学んだ。が、机上の学びよりも、時近兄を今日あらしめたのは開拓の労苦と教会建設の労苦であったと思う。ホ群の信徒委員や聖書学校の理事長としても長く尽くしてくださったことを思い返して感謝すると共に、その晩年に主の祝福を心より祈って止まない。    

2015年8月30日

日本アシュラム60周年

 今年は戦後70年だが、日本クリスチャン・アシュラムが始まって60年である。その記念アシュラムが9月21日(月)-23日(水)の連休に東山荘で開かれる。戦後の日本の精神的荒廃を見たスタンレー・ジョーンズは、インドから日本へ10回も駆けつけて、北海道から九州まで全国縦断伝道を展開し、多くの日本人を救いに導かれたが、日本の教会にはさらに祈りを要すると、1955年第4回の来日の際、天城山荘を会場に4泊5日の日本クリスチャン・アシュラムを開催した。これが日本におけるアシュラムの最初である。以来、全国各地でアシュラムが開かれた。私が最初にアシュラムに参加したのは1971年、スタンレーの最後の来日となった第10回関東アシュラムであった。まだ駆け出しの伝道師だった私には、スタンレーのメッセージは余りに深遠で、最初のアシュラム体験は未消化に終わった。その後、1976年に榎本保郎師の指導による第1回京浜アシュラムが湯河原で開かれ、ここに私も導かれて、アシュラムの恵みに目を開かれ、以来何度もアシュラムに参加して大きな恵みを受けた。今日まで牧会した更生、香港JCF、西川口、仙台青葉荘の各教会でアシュラムを開き、教会の兄姉らと共に恵みに与ってきたが、御心ならば東調布教会でもアシュラムを開き、共に祈りたいと願っている。さしあたり、来る9月の連休の日本アシュラムに参加する兄姉はありませんか?アメリカからアン・マシューズ女史、主幹牧師の榎本恵師も参加予定。(牧)

2015年8月23日

思い出のキャラバン伝道

 久しぶりに福井へキャラバン伝道に参ります。仙台では何度か学生たちを受け入れ、共に被災地も見に行きましたが、今回のようなキャラバン伝道は久しぶりです。

 一番思い出に残るキャラバンは、40年以上前の三重県尾鷲教会への伝道応援です。当時、K牧師がお一人で複数の伝道所(家庭)を伝道牧会しておられました。学生たちが来ると言うので、先生もはりきって、そこをすべて回り、家庭集会での奉仕やチラシ・トラクト配布等々、目の回るような忙しさでした。教会には幼稚園もあり、先生はその責任も担っておられましたから、私たちには先生はまるでスーパーウーマンに見えたものです。今も心に残るのは、土曜日の夜は説教の準備で、布団に寝たことがないという言葉です。

 尾鷲は全国で最も雨量の多い所で、毎日のように雨が降りました。しかし、きれいに晴れ上がるときもあり、目まぐるしく天候は変わります。そのような中でチラシ配布や子供会の準備など、私も若かったから学生と一緒に付き合いましたが、今ならとても無理です。また、今日はそんな厳しい日程でキャラバン伝道をする教会もなくなりました。学生たちのために、観光スポットを案内してくれる牧師もいます(私も松島へ案内しました)。しかし、いつまでも思い出に残るのは過酷な奉仕を強いられた教会です。これはキャラバン伝道だけではなく、どんなことにも当てはまる真理かもしれません。(牧)    

2015年8月16日

8月15日を迎えて

 今年も終戦の記念日を迎えた。70年前のこの日を覚えている人も少なくなった。私は6歳だったので、今日の幼稚園で言えば年長組だが、何も覚えていない。玉音放送も我が家では誰が聞いたのか、果たしてラジオでうまく聞こえたのか、それもわからない。札幌は幸いに空襲がなかった。全国の主な都市で、空襲がなかったのは京都と札幌だけだった。京都は文化財の保護のため、札幌は終戦後の進駐軍の基地にするためと聞いた。

 敗戦が近づくと、空襲警報が鳴る度に、裏山に父が一人で造った防空壕に防空頭巾をかぶって逃げ込んだ。そこで姉と二人でおにぎりを食べたのは覚えている。中は暗く、じめじめして気持ち悪かった。しかし、空襲がなかったので、敵機襲来といっても戦闘機が1機飛んでくるくらいで、危険はなかった。ところが、何故か爆撃機の編隊が札幌にもやってきて、東から西の空へ轟音をとどろかせて飛び去っていく夢をはっきり見たのだ。それが余りにも鮮やかなので、夢なのか現実なのか分からない程だ。夢だとするといつそんな夢を見たのだろう。今も脳裏に焼き付いている。それが余りにも生々しく恐ろしかったからだ。

 後日、東京大空襲のことや全国主要都市の空爆の話を聞くにつけ、あの恐ろしかった夢を思い起こす。しかし、中東では今も空爆が行われ、民間人、子供たちが命を奪われている。どんな理由にせよ許されることではない。戦争の大罪をすべての人が肝に銘じるべきだ。(牧)

2015年8月9日

平和を覚える月

 きょうは長崎に原爆が投下された日である。8月は敗戦の月であり、広島、長崎に原爆投下された月でもあるから、教会では特に平和について考え祈る月としている。

 私は献身する前、東北大学工学部助手という身分で、当時役員のなり手がなくてつぶれそうになった工学部の組合の書記長を引き受け、他の役員方と共に組合活動をしたことがある。そこでもいろいろ考えさせられることはあった。8月になると原水禁世界大会に出席するために東京に出ることがあり、ある年に私が代表で代々木公園で開かれた世界大会に参加した。全国各地からゼッケンや鉢巻を締め、のぼりを立てて参加する者もあり、海外からの代表も来て、なかなか盛況であった。内容も静かな講演などではなく、“アメリカ帝国主義打倒”というようなアジ演説が多かった。内容のある話し合いは近くの法政大学のキャンパスで主題別分科会でなされたが、そこで話される内容も、私には違和感を覚えることが多かった。8月上旬の日曜を挟んで2,3日だったと思うが、心身の疲れを覚え、日曜の朝は会場からこっそり抜け出して、近くの富士見町教会の礼拝に出席した。当時、牧師は島村亀鶴師であったが、諄々と語られる説教に心癒され、私の居場所はここ以外にないと痛感したことが忘れられない。そこには何よりもキリストの平和があった。原水禁大会も意義深いことで、今日まで続けて行われているが、私たちには次元の違う平和があることを忘れてはならないと思う。(牧)

2015年8月2日

西川博彬師を訪ねる

 3日ほど夏休みを頂いて、信州の奥蓼科まで行ってきた。長く上諏訪教会を牧会して隠退された西川博彬師をお訪ねしたいと前から願っていたので、この機会にと思って妻と二人で出かけた。茅野市在住の母教会の友人M夫妻も誘って押しかけた。先生も驚かれたと思う。

 西川師は当教会初代牧師佐藤雅文師夫人のハツ師と二人三脚で働き、ハツ師を母のように慕い、ハツ師が上諏訪を引退して浜松のエデンの園に入居されてからも、最後まで師との交わりを大切にされた。

師は若くして献身され、東京聖書学校に学んだが、繊細な若き魂には荒削りなホーリネス信仰による寮の訓練はきつかったのではかろうか(私は献身して半年間、修養生として聖書学校に入寮させてもらったが、30になろうとする私にも寮生活はきつかった。)

 若い日から繊細な詩人であった西川師を母親のように温かく見守り続けたのがハツ先生で、聖書学校卒業後、日本聖書神学校や青山学院で学びを深めて知性派の牧師となり、東京聖書学校では講師として旧約聖書概論、キリスト教倫理、実践神学を上諏訪から通って講義してくださった。

先生ご夫妻とM夫妻、さらに我々夫婦の6人の語り合いは、意外な展開を見せて、神の見えざる御手の不思議さに驚きを禁じ得なかった。懐かしい思い出は、40年近く前に、ホーリネス誌の束を携えて上諏訪教会を訪ね、西川師と二人で徹夜のようにして編集・発行したのが中島代作師の「完成を目指して」である。ホ群の内外で貴重な説教集として喜ばれた。(牧)

2015年7月26日

聖会を大切にしよう

 第26回(戦後通算62回)首都圏夏期聖会は去る21日―23日熱海のハートピア熱海で開かれた。昨年の今頃、私は肺炎で入院中で、病院のベッドで一人祈っていたが、今年はここまで強められて参加を許され感謝であった。

 この聖会を皮切りに全国5か所でホ群の夏期聖会が開かれ、バイブル・キャンプ等も開かれる。私も一昨年までは東北聖会に出席していたが、東北はホ群の教会も少なく、また、どこを会場としても距離があるから、参加は首都圏ほど容易ではない。その点、首都圏は群の教会が30近くあるのだし、距離も比較的近いのだから、もっと出席者が多くても良いのではと思わせられた。1教会平均3-4人の出席で100人の聖会が可能になるはずだ。まず100人聖会を目指して励むことが求められよう。

 ホーリネス教会における聖会の意味は大きい。聖会ではスタンダードなホーリネスメッセージが語られるから、教職も信徒もしっかり聴き、自らの信仰を再点検する必要がある。よく祈られて開かれる聖会には、聖会ならではの恵みがあり、信仰が確かなものとされ、新生・聖化の恵みに与り、四重の福音を再確認するときともなる。

 来年は戦後、教団内にホ群を結成して70年である。記念プロジェクトが委員会によって企画されているが、もう一度聖会を盛んにすることを目指すことも大事ではなかろうか。聖会は、ホ群が教団内外で使命を果たしていくために必要な霊的力を受ける場であることを信じる。(牧)    

2015年7月19日

聖書こそルール

 安倍政権が安保関連法案を強行採決した。野党はじめ、全国の多数の反対に耳を貸さず、強引に強行採決に持って行ったのは極めて遺憾である。今後の日本の行く末に大きな禍根を残すことにならなければよいが。

 そこで、私は一つのことを思い出した。それはウェスレーの有名な言葉「聖霊はガイドであるが、聖書こそルールである」というもの。これはどういう意味かと問うと、聖霊なる神は地上の一切を導き、特に教会のすべてを導き給うお方である。しかし、聖霊の導きはいつも明確であるとは言えない。聖霊は生きて働かれるが、悪霊も働くのである。だから何が聖霊の導きか、また何が悪霊の導きかを見分ける基準がなくてはならない。それが聖書であるというのである。ウェスレーの時代にも、「私は聖霊の導きを受けた」と言う多くの人がいた。しかし、聖書を無視して、自己流の聖霊の導きを主張する人たちは非常に危険で、そんな人について行くとどこに連れていかれるかわからない。ウェスレーはその危険性を見抜いていたのだ。

 今度の政府与党のやり方は、憲法や憲法の正当な解釈を無視して、自分たちの判断こそ日本を守る道だと一方的に主張している。大きな権力を持つ政権こそ、憲法に縛られているのだという観念が全く稀薄である。これは立憲主義の否定である。それでは憲法は何のためにあるのか。これはウェスレーが聖書を無視する人々を危険視したのと共通するところがあると思うが如何であろうか。(牧) 

2015年7月12日

戦後70年の節目の年を迎えて

 今年は戦後70年の記念の年である。安倍首相も総理大臣談話を国の内外に公表しようとしている。これは世界からも注目されるであろう。70年というのはイスラエルのバビロン捕囚の期間に当たり、それ以前の生き証人がいなくなる頃だ。日本も先の大戦の経験者がわずかになってきた。戦争が遠くなり、戦争の恐ろしさを経験的に知る人が少なくなってきた。

 戦後70年、私たちは敗戦の痛みを乗り越えて、民主主義の新しい世界を築きあげてきた。平和憲法が制定され、その憲法に守られて、戦争に巻き込まれることもなく復興を進めることができた。しかし、この頃の風潮は、政治が再び右傾化して、政府は安保法制も数にものを言わせて今国会で押し通そうとしている。北朝鮮や中国の脅威をしきりに強調して、防衛を強化するために自衛隊が戦争できる体制に整えようというのである。しかし、今問題になっている集団的自衛権行使は憲法違反であるという見解が、法律の専門家からはっきりと表明されている。

 このような憲法解釈の重大な変更、しかも戦争に巻き込まれかねない重大な変更を、広く民意を問うこともしないで、時の政府の判断だけで決定して良いものだろうか。前回の衆議院選挙はアベノミクス選挙と呼ばれ、憲法解釈などは選挙の争点ではなかった。安倍首相がどうしても法案を通したいのなら、正々堂々と憲法改正を掲げてその是非を世に問うべきではなかろうか。(牧)