2020年5月24日(日)人生における最優先の事柄」マタイ62534

 あまりに有名な、親しみのある聖書個所です。

 ここでのテーマは『思い悩むな』です。この短い章節では4回も「思い悩むな」という言葉が使われているのが特徴です。当時であれ、現代であれ、思い悩むことは人の常です。しかしここで問題にしているのは、思い悩むことは性格上のことではなく、信仰と深い関わりがあるからです。そもそも思い悩むことは、神様よりもこの世的なものを恐れるということであり、それは真の神様に対する不信仰につながるからです。

ペトロは言いました。「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」(Ⅰペト5:7)

またパウロは「どんな事でも、思い煩うのは止めなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いを捧げ、求めているものを神に打ち明けなさい。」(フィリピ4:6-7)と断言します。

 これに対してイエス様は、なんと言われたのでしょうか。思い悩みから解放する三つのヒントを学びます。第一に、大きな信仰を持つこと。イエスは弟子たちを「信仰の薄い者たちよ」(30)と叱咤されました。思い悩むことは信仰が不足し、信仰が小さいからです。第二は、明日のことを思い悩まず、今日を精一杯生きること。イエスは言われます。「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。(34)。なんと慰め、励ましに満ちた言葉でしょうか。 第三は、「何よりもまず神の国と神の義を求めること(33)。「神の国を求める」とは「神の支配を求める」「あなた自身を神が支配されるように求める」ことです。「神の義を求める」とは、「あなたが正しいと思う(自分の義)ことではなく、神が正しい思われること(神の正義)を求める」ということです。

人生における最優先の事柄とは、「何よりもまず神の国と神の義を求めること」なのです。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 キリスト教信仰の四つの骨格といえば、「受肉」「復活」「昇天」「再臨」ですが、救いに関わる真理をどこまで深く理解しているでしょうか。どこまで事実として、受け止め、信じているでしょうか。

 

「主イエスの昇天」は不思議な出来事でした。マルコとルカの福音書だけが、主イエスは天に上げられたと記されています。弟子たちにとって、イエスさまが目の前で、次第に消えて行き、再び、この目で見ることはなくなるという別離、悲しみの時でもありました。また主イエスが十字架につけられ、死んで、葬られたときも、深い喪失感に襲われましたが、再びあの時の喪失感をもう一度味わうことになりました。

 

しかし弟子たちは、イエスが天に上げられたあと、大喜びでエルサレムに帰り、神殿の境内で、神をほめたたえていた(ルカ2451)。すなわちひたすら礼拝をしていたのです。

 

 主イエスの昇天が何をもたらしたのでしよう。第一は聖霊の約束でした。それは10日後のペンテコステの日に約束が成就しました。第二は再臨の約束でした。そして第三は、主は新しい存在の形に変わられたことです。それまでは主イエスは目に見えるお方、弟子たちの前に現れる主でした。昇天して見えなくなりましたが、その時からいつでも、どこにでも、だれにでも共におられる存在となられたのです。  

 

私たちにとっても、主イエスは見えないお方であるがゆえに、私たちの全てを見て下さっています。

この世における主イエスの御業は、その誕生に始まり、昇天によって完成したのです。クリスマスが、主イエスの地上における御業の始まりの日であるならば、昇天日は、完成の日でした。そしてペンテコステの日から著しい聖霊の活躍が始まるのです。      

2020年5月10日(日)「試練を耐え忍ぶ人は幸いです」(ヤコブ1:12-18

 

 

 

 

 ヤコブは「試練を耐え忍ぶ人は幸いです」と言う。どうして試練を耐え忍ぶ人が幸いなのでしょうか。

 

 

 たとえば病気です。病気を通して、神の愛と真理がわかり、信仰的により強くされたなら、それは神の試練にほかなりません。一方で、病気によって、物事を否定的に考えるようになり、人をうらやみ、神がわからなくなるなら、それは悪魔の誘惑といえるかもしれません。病気だけでなく、およそ人生のつまずきとなるもの、失敗、失業、破綻、貧乏…などは試練ともなり、誘惑ともなるのです。

 

  試練は、私たちを強めます。私たちを成長させます。私たちを神に近づけます。一方、誘惑は、私たちを弱めます。私たちを滅ぼします。誘惑は、私たちを神から遠ざけます。

 

  ではどうすれば試練に耐えられるのでしょう。それは一に忍耐、二に忍耐、三に忍耐です。そして主イエスの助けが必要です。人生の勝利者とは、 試練に耐え、試練から学び、試練を通して成長する人ではないでしょうか。一方では、誘惑に対しては、逃げる、避けることです。誘惑の場で耐えたり、留まれば、必ず失敗します。

ヨブはすべての子どもを失い、すべての財産を失い、健康を失い、悲惨のどん底に至りました。しかし彼にとってのそれ以上の苦しみは、「神が見えない」ということでした。

 新約時代に生きる私たちにとっての苦難の究極的な答えは「人となられたこの神、イエス・キリストを見なさい」ということではないでしょうか。